「喜ばれる悦びを共に歓び慶びとする!」
喜多方の働くマン 江花圭司
平成25年12月議会 一般質問の内容
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今回は、一点集中で26年プレDC(デスティネーションキャンペーン)に向け、「昭和50年交流人口5万人だった頃の原点に立ち返り38年間忘れかけてきた喜多方の心意気を取り戻す!」ことを目的に江花圭司12月一般質問いたします。
昭和40年代、喜多方の写真家金田実氏が蔵の写真を撮り続け、市民に「蔵こそ喜多方のアイデンティティーだ」と訴えていたにもかかわらず、当時の唐橋東市長が商店街活性化のために蔵を壊し駐車場にしようとしていました。しかし、金田氏が唐橋市長に「あんた、この蔵たちを殺す気かい!」と言葉を投げかけられ、唐橋市長は喜多方の蔵の多様さ美しさ、それを作った先人の心意気に対し感銘をうけ蔵擁護派になり蔵は喜多方の財産として残りました。
なぜ、喜多方全域に蔵が多くなったかを検証すると、そこには先人の心意気や人間性があります。それは北方の藤樹学です。「お上も庶民も、武士も町民も人間はみんな平等で、大いに競い合って財をなすことは、卑(いや)しいことでもなんでもなく、むしろ奨励されることだ」ということで、多くの北方商人は会津藩の塩川港から阿賀野川、越後から若狭湾、敦賀湾、そこから陸路でサバ街道やブリ街道を通って会津喜多方の産物を京都や名古屋、大阪に卸て、逆にそちらの地域の方々も喜多方に市を建てていました。それが室町時代からの入田付の十二斎市、中田付小田付の六斎市(2・7のつく日)、小荒井2の日と小田付7の日の三斎市へと発展し、移り住んだ方々がふるさとの地域名を屋号とし現在でも蔵をもって商売を続けています。
また、地域のリーダーシップ性で言えば、喜多方も戊辰戦争後の日本における国会開設のきっかけとなった自由民権運動の風も喜多方からなびかせました。こうやって、蔵ひとつの建物として捉えるとハードとしての蔵のまち喜多方ですが、歴史と人の心意気が入るとストーリーになり、そのストーリーが新たな観光資源を生み出します。
現在、国と県は会津広域圏に期待を寄せています。その考え方は、人が来ている地域の交流人口を100%で復活ではなく100%以上に拡大増加させ福島県内に交流人口を流動させるという考え方で各種施策、予算化をして26年度を迎えようとしています。
始まりは会津広域の中で喜多方が風を起こし
福島をなびかせ、国をも たなびかせることです!
今回の質問では「蔵住まいのまち喜多方」の原点と心意気、それを市として職員、市民、訪れる方々にどのように伝えていくかを問います。
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26年3月20日〜3月30日 喜多方プレDC中吊り広告
26年4月1日〜6月30日 新潟県DC
26年6月14日〜9月13日 山形県DC
27年4月1日〜6月30日 福島DC
金田の写真展に三つの句を寄せました。どこでしょう?
花咲いて 住まいも店も 蔵がまえ
酒蔵の 中つつぬけに 稲田風
小春日の 路地をまたいで 醸造蔵 唐橋東
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【黒漆喰の烏城「甲斐本家蔵座敷」と蔵のまちのこれからについて】
蔵のまちとして有名になる「新日本紀行:蔵住まいのまち喜多方」が放映されたのは昭和50年7月7日。その時、喜多方市の観光客は約5万人でした。
その後、平成7年の国体開催の年に100万人達成、その後、蔵とラーメンのまちとして売り出し、平成18年の合併時には会津デスティネーションキャンペーン効果もあり、市民のおもてなし度も120%上向きに転じ、約180万人がこの喜多方市を訪れていました。しかし、平成23年の原発事故以来、観光交流人口も8割止まりとなり、上向きに転じた頃と比較すると実に4割下回っている状況にあります。
⑴ 昭和50年以降、蔵のまち川越や倉敷といった他地域と違った喜多方の蔵の成り立ち、有名になった歴史について、一市民でもある職員にどのように引き継いできているのか。
蔵のまち喜多方として、他地域との差別化を図る職員教育の経緯を伺います。
左 金田 実 氏 右 長嶋 新佐久 氏
蔵の写真家 金田氏と蔵のまち案内でバスにも乗り込む長嶋氏
金田氏はセピロマ会の末席にいた。(セザンヌのセ)プリンス、美術倶楽部
【再】喜多方独自の職員人事で、初任者においては観光交流課に配属し喜多方の歴史や資源を認識してもらい、おもてなしを学ぶなど、喜多方らしい人事に関する仕組みづくりはどのように思いますか?
⑵ 今現在の甲斐本家「蔵」に関する取組等庁内検討委員会の進捗と議論の内容についてですが、甲斐家「蔵」保存、継承、公開に関する懇話会も含めて保存再生に関する庁内検討委員会の進捗と議論内容を伺います。
⑶ 市職員の中に、蔵やそれを作ってきた先人の歴史について情熱を持っている職員はいるのか。情熱が冷めているように思えます!喜多方の中心軸が見失われているようにも思います。
仕事量が多くなって煩雑化、多様化しすぎて中心軸や方向性を見失っていることも挙げられるかもしれません。
一度原点に返って当時の熱意ある職員の業務に対する取り組みを知ることも必要ではないかと思います。蔵のまちを掲げる喜多方として市職員の蔵のまち喜多方に対するステイタスをどのように捉えているか伺います。
⑷ 唯一無二の当該文化資源「黒漆喰の烏城 甲斐本家座敷蔵」について、11月26日をもって冬季休業に入りましたが、現在ふるさと振興鰍ェ運営をしています。一部公開のみで、全部の公開とはなっていません。土地だけでも市で購入し管理できないのか。今の現状は方針がなくその場しのぎのとなっており、お客様満足度を十分満たされていないと考えることから、今後の活用方針を伺います。
【再】「黒漆喰の烏城 甲斐本家座敷蔵」は戊辰戦争後から現在でも会津広域の中でも間違いなく価値ある文化資源であると言われています。もはや、個人で持ちこたえるには重すぎて、みんなが大切なモノだと考えてくれるのであれば、建物蔵座敷含め全てを寄贈したい。と申し出ておられるのは認識していますよね。その見解を伺います。
【再】現在、様々な運営方法や形態を模索していますが、原点に返って最初の申し出通り「賓客をもてなす喜多方迎賓館」として考えるとしたらどうするかだけに特化して話を進めていけないのか。中心軸、方向性を決めてから次年度以降の運営に携わらなければ、どんどん品位をも落としてしまうと危惧するがいかがか伺います。
⑸ 甲斐本家座敷蔵が、価値ある財産であると認識してもらうために、市民一人々が観光のPRができるセールスマンになれるような対策は講じられないか。例えば喜多方市民が一人他地域の観光客を連れて来ると、連れてきた市民の入館料を無料にするとか、また喜多方市民に無料公開日を設け、より良くしていくためにアンケートや意見等をいただくことなども必要であると考える。市民へ価値ある財産であると認識してもらうための展開について伺います。
⑹ 蔵のまちに住んでいる人々が地域の蔵を誇りに想い情熱を持って後世に引き継いでいくことが大事であると思いますが、蔵住まいの人々の心意気を後世につなげるための方針を伺います。
【再】蔵を知るミニ百科を「喜多方志民の心得」などのようにword文書にて作成した媒体ですので、市の公式ホームページのトップページからダウンロードや各種関連ホームページの目立つ場所ブロックにバナーを作成しダウンロードできるようにするなど、様々な紙媒体広報誌などで小出しにコラムのように掲載するなどは可能でしょうか伺います。
⑺ 現在、国登録有形文化財は51棟を目標に掲げて進めていますが、蔵と人とのつながり(訪れる人、暮らしている人、案内する人)が大事だと考えます。シンボルの蔵を中心とした登録有形文化財群と人をつなぐための現状と取り組みを伺います。
(現在32棟)
【再】蔵を知るミニ百科や蔵手本などを活用してストーリーの抜粋、暮らし方の案内など、蔵公開日を設けるなどDCに向けたプログラムを考えられないか伺う。
⑻ 喜多方ラーメンや今年から始めた花畑が有名になったのも、元をたどれば蔵のまち喜多方という、そこの暮らす市民の心意気があります。この度の定例会において予算計上されている456万円のJR中吊り広告が大きな効果をもたらす意味でも、これからの蔵・ラーメン・花を関連づけた「花で彩りラーメンの香り漂う蔵のまち」の効果的情報発信について伺います。
【再】実は今、ラーメンで喜多方が有名になった1983年あたりと同じような時代背景に感じ取れます。当時は、観光客など来ない地域に蔵を見に来る方々が増えてきたことからマスコミをラーメン屋に連れて行き自分たちが普段食べているラーメンを食べてもらい評価を得てテレビ放映されます。その後、県担当者からのお願いで観光雑誌の一面を喜多方が埋めることになり、発刊以降大反響を得ます。今回は中吊り広告です。今までの着地型プログラムを活用して一日1千万人の目に止まる広告紙面から紙面には収まりきれない喜多方の魅力を紙面からスマホなどでキラリ博サイトにアクセスすると良いことがある。など紙面では伝えきれない先の情報をどのようにPRするか仕組みづくりをどう考えていくか伺います。
⑼ 高齢化社会にあって、高齢で管理できない蔵の中に眠っている逸品の把握と保存が急務であると考えます。蔵の中に眠る公開できる美術品の把握と保存について伺います。
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以上、12月議会において未だ風評被害の影響がある喜多方市
昭和50年5万人の交流人口だった頃の原点に立ち返り、38年間で忘れかけた喜多方の心意気を取り戻すきっかけになって
変わりそうで変わらない喜多方!から
福島県会津から逆風張帆の中、はじまる喜多方へ!
原発事故後、よい機会をいただいた平成26年の来年度
加速度的な復興を支援していく素養がある喜多方
国、県をも、なびかせる喜多方でなくてはならない!
すべては、トップの喜多方に対する熱意とビジョンが重要である
との思いから12月 江花圭司の一般質問とさせていただきます。
最後、市長の思いを伺います。